20100704

怪我

先日も、柔道の稽古をしていた小学一年生が倒れて亡くなったという報道がありました。診断の結果後頭部に内出血が見られ,稽古中に後頭部を強打したらしいという事です。記事
合気道も稽古中の子供の怪我は時々見られます。この前も受け身の際,私の足が子供の顔に当たってヒヤッとした場面がありました。

子供というのはその場の空気の変化に敏感で,指導する大人がいい加減な意識だと途端に集中がキレてしまい、修復不可能になる事があります。危険な場面はそう言う空気の中に不意に訪れます。尊敬する沖縄空手の宇城憲治先生は板の間で初心者もベテランも同じ内容の稽古をして,かなり激しい投げ技や、寸止とはいえ素人には捌ききれないであろう当て身も出されます。曰く,「稽古に師範の気が通っていれば怪我をしない」とのことです。

オカルト話しではなく,人の気は日常誰もが感じている筈のもので,それにリアリティを与えるかどうかは武道家としてのセンスの部分です。鈍感に成長してしまったダイの大人に「感じろよ」と言っても無理でしょう。

稽古を心から楽しいと思える様になったこの頃,思う事は「楽しむ」と「緩む」を間違えてはいけないということです。ある一定の緊張感があるからこその楽しさだという事を忘れてはいけないのです。

上記の記事からは、指導役は中学生だった様ですが,大人の目線から考えるに小学生の稽古に中学生がその気を通しきれるかどうかはなはだ疑問です。責任は中学生に指導役を任せたその上の大人にあります。

何度かここでも書いていますが,私が武道に魅力を感じるのは礼があるからです。師範や先輩や技を掛け合う相手への礼は理解されやすいと思います。しかし、誰もいない空っぽの空間でしかない道場に何故礼をするのかは理解しにくいはずです。もしかしたらその道場に対する礼こそが,武道の持つ最も大切なメッセージなんじゃないかと思います。

柔道事故の死者は年平均4人を超えると言われ,他のスポーツからは突出して高く,問題化しています。柔道は人間相手の競技で,しかも受け身の鍛錬を基礎として緊張と集中の下で稽古がなされる本来の柔道の稽古内容ならこの数字は限りなくゼロに出来ると私は感じます。

問題は武道として,あるいはスポーツとしての柔道にあるのでなく,その現場に携わる大人の意識に驕りや油断はなかったのか?という点です。

お互いの命をお互いの手でやり取りする事に誇りを持った先人たちの知恵が詰まった日本の武道は、治安の悪さや社会的な差別とは別の次元で人のココロを育てる文化にまでなりました。これはどこまで行っても外国人には決して理解出来ない日本人の魂の高さの現れです。

指導の役を受けるかどうかに関わらず、武道の現場に関わるすべての大人がそれを後の世代に伝える事に喜びを感じつつ、先人たちへの敬意を忘れずいれば、つまらない事故などで肩身の狭い思いなどせずに更に楽しい稽古をし続けられると思っています。

さあ、稽古しましょう。汗かいて大変だけど。

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